ぺっさんはずっと更年期

こんにちは、ぺっさんです。日々の出来事やなかなか終わらない更年期の愚痴などをつらつらと書いております。よろしく☆

ひらめき

今日から3月ですね。早いもんだ。
そろそろ卒業式のシーズンです。
お子さんが卒業する親御様、誠におめでとうございます☆



娘が6月頃に家を出る事になり、一緒に楽しく暮らせるのもあと3ヶ月程になりました。
約22年間、毎日楽しく暮らしてきて、私にとっては世界で一番愛らしい存在ですよ(息子もですけど)。
大きな反抗期もなく、のんびりさんで平和で天然な子です。
ちゃんと生活できるのかな〜と心配ですけど、ま、これもいつかは通る道ですしね。
寂しい寂しいと思い続けてきたけど、ある日突然、私の気持ちが切り替わりました。
なんの脈絡もなく、ある日突然でしたよ、切り替わったのは。今から1ヶ月くらい前かな?
今まではね、娘がいなくなるのが寂しくて切なくて、その気持ちをなんとか切り替えようと、
「子供が巣立つのは当たり前」「結婚適齢期を逃すよりいい」「いつまでも親の脛かじりでいられるよりマシ」
「娘の人生を応援しよう」といった感じで、無理やりポジティブに考えようとしてました。
でも、振り切ったつもりでもいつも心の隅っこにそういう思いって残るんですよね。
無理に思い込まそうとすると、その時はそれで納得したつもりでも、時折また切ない気持ちが蘇ります。
「娘が出ていったら働いて気を紛らわそう」「家事が楽になるから良かった」などと、私なりに
なんとかメリットを考えだして気持ちを切り替えようと、この半年ほど頑張ってきましたが、
納得したつもりでもやはり最後にあらわれる気持ちは「寂しい」でした。



しかし、ある晩のこと、いつもの通り寝入りばなに「ああ、あとこの子と暮らせるのは何日かな」と
考えた時、いきなり、自分が独身だった時のことが頭によぎりました。
独身の頃は、自分一人の事を考えていたらいいだけで、自分で決めて実行したり将来のことを考えたり、
自分が主体で自分の事だけを心配していたらいいだけの、なんとも気楽な時期ですよね。
それが時が経つにつれ、主人の心配、子供の心配、生活の心配、家族の健康や家計の心配など、
自分はそっちのけになり20数年が経過。
「自分は二の次」という状況が心地よく、それが当たり前で暮らしてきましたが、子供達が巣立って
夫婦二人になる今、これからはまた、「私は〇〇(実名)」に戻るだけなんだ、と急にひらめいたんです。
別に離婚するとかそういう話じゃないですよ!夫婦は円満なのでずっと一緒です。
今まで通り主人に対する心配や配慮は必要ですが、もう「お母さん」としての生活を送る必要はなく、
〇〇(実名)として生きていく事が大切なんだ、とはっきり実感しました。
もちろん、子供達が巣立ったからといって母親じゃなくなるということではありませんよ。
いつまで経っても子供は子供だし、世界で一番愛おしい存在には変わりありません。
でも、なんというか、自覚が芽生えたというか、一個の人間として生きていこうという気持ちに切り替わったんですね。
その晩からは、ウジウジした気持ちが全くなくなり、寂しさはあるけどもっともっと前向きなナニカ…
「第二の人生を〜」というわけでもなく、なんというか、元の自分に戻るというか…
上手く表現できませんが、なんせスッキリした☆という次第です(・∀・)



考え事の答えって、考えれば答えが出るわけではないんですよね。
「そうか、こうなんだ!」と、その時は感じても、心底納得していないとまたすぐぶり返す。
ブルース・リーじゃないけど、「考えるな、感じろ」でしょうね。意味は違いますが(^_^;)
何かを読んで答えがでる、何かを聴いて答えが出るってのもありますが、心底納得できていないと
何かの拍子にまた心がぐらつきます。
結局は、自分の奥底にある思考や元来の考え方が、最終的な答えへ自分を導くのではないか、と思います。
悲観的な人に楽観的な考え方をしろ、と言っても長くは続きませんよね。
その時はできても、またそのうち悲観主義に戻ってしまいます。性格ってそう簡単にかえられませんから。
模索も大切ですけど、私はやっぱり「ひらめき」や「直感」を信じてしまいますね。
ああだこうだと考えてなんとか納得した答えって、私にとってはかき氷のようなもんです。すぐに溶けてなくなっちゃう(*´∀`*)



これで空の巣症候群にならずにすんだらいいんですけどね。
実際に娘がでていった後はどうなるやら…
でもなんだか大丈夫な気がします。
私もちょっとは子離れできる親に成長したのかもね❤