ぺっさんはずっと更年期

こんにちは、ぺっさんです。日々の出来事やなかなか終わらない更年期の愚痴などをつらつらと書いております。よろしく☆

親子

寒いですね。
今晩は職場の忘年会です。
まあ近くでやるから寒くても平気ですけどね。



息子がこの家から居なくなって6日目。
ぼちぼち寂しさが落ち着いてきました。
2〜3日は買い物に行くたび、いつも息子用に買っていたラーメンや
お弁当のおかずを見ると悲しくなってましたが、だいぶ慣れてきました。
先日は忘れ物を息子が取りに来まして、「ご飯食べていくか?」と聞いたら
「昨日のカレーが残ってるから」と帰っていきました。
元気そうだったし、自分でちゃんとやってるんだと安心しました(^^)
そらそうよね。もう24歳なんだし。
主人が24歳の時は、私は第二子を妊娠してましたし。
明日は主人のロードバイクのレースがあるので、息子も応援に来るみたい。
毎日顔を見ていただけに、たった数日でも見ないとすごく久しぶりに感じます。



しかしまあ、一人居なくなっただけでもかなり家事が楽になりますね!
息子は毎日夕方6時には帰宅してたので、それに合わせて夕飯を作るのが
結構負担でした。
主人と娘は帰宅時間がバラバラですが、そんなに早く帰ることはありませんので。
買い物の量も減ったから楽だし、洗濯物も減った。
掃除の回数だって減ったしね。
こりゃあ、主人と二人暮らしになったら物凄く楽ちんでしょうね!
洗濯も食事の支度も買い物も、二人分なんて知れてますもん。
どうりで職場の50代の奥様方は元気なはずだ、と思いました。
子供が巣立って夫婦二人だから余裕〜と言ってます。
ま、私がその頃には体はもっとしんどくなってるでしょうけど(-_-;)



息子の元部屋へ主人が移り、夫婦の元寝室は私の部屋に(^^)
息子用のクローゼットが1間半空いたので、そこに主人の荷物を入れ、
夫婦の寝室にあるクローゼットは私の荷物だけ。
主人専用だった半間のクローゼットは、私と娘のガラクタ入れになったので、
娘のクローゼットもスッキリしました。
リビングに飾っていたモロモロの雑貨は私の部屋に移し、息子のベッドやテレビ等
は全部私が譲り受け、それなりのいい部屋になりましたよ♪
おかげでリビングがスカスカになりましたけど。
玄関に大量にあった息子の靴がなくなり、玄関もやたらスッキリ。
洗面台にあった大量の息子の私物がなくなり、そこもスッキリ。
ほんと、一人減っただけで家中がスッキリ!これには夫婦で驚きました。
でもまだちょっと寂しいけどね…


先日、息子の会社からお歳暮のハムが届いたので、息子にラインしました。
「冷蔵庫に入れてるからまた取りにおいで」と。
「いらないんであげます!」と返事が!つめてーなーー!
でも、私も親からのそういう電話が鬱陶しい時期がありました。
そんなしょうもない事どうでもいいわ、的なね。
親の気持ちって自分が親にならないとわからないものですね。つくづく思います。
あの時親がしてくれた時の気持ちが、今になってようやくわかる。
心配とおせっかい。特に女親はそうですよね(;'∀')



「親孝行、したい時に親は無し」
私ももっと親孝行しないとね。
同居してた時は色々あったけど、今はもう恨んでもないし。
恨み続けるか受け入れるか…私は恨み続ける方が楽だと思う。
嫌い、ムカつく、もう知らん…そう思ってる方が楽かもね。
受け入れて和解して、相手がどういう気持ちでその時そうしたか、
その後どんな気持ちでどう思っていたのかが解ってしまったら胸が
締め付けられる事になるかもしれない。
主観だったら悪いのは相手で自分は被害者ですもんね。


主人の亡くなった母は、主人が26歳、主人の弟が14歳の時に蒸発しました。
主人はもう私との家庭を持っていたのでダメージはありませんが、弟にとっては
そうではなく、ずっと今でも恨んでるようです。「俺は捨てられた」と。
享年64歳で一昨年亡くなったんですけど、それまでも一切連絡なしでね。
なので、亡くなった時、父と弟は顔を出しませんでした。
墓参りにも来ないし、我が家に仏壇があるんですけど、それ以来弟は家にも来なくなりました。
母は家を出てから一人でひっそりと隣の市に住んでたようです。
掛け持ちの仕事をして。
そして胃癌になり、最後の1か月だけ生活保護を受け病院で亡くなったようです。
「家族に迷惑かけたのでもうこれ以上誰にも迷惑かけたくない」という本人の意向で
亡くなるまで何の連絡ありませんでした。
亡くなってから、役所の方から連絡がありました。


母のお姉さん達が、母の遺品整理に行った際、母が弟に宛てて書いた手紙を
何通か見つけました。
やはり、母にしたら弟が一番心残りだったんでしょうね。
手紙は書いたが出せないまま。母の気持ちもわかります。今更出せるわけがない。
たった一人で病室で、げっそり痩せて亡くなった母。
どんな気持ちで亡くなったんだろう。最後まで弟に会いたかっただろうか…
それを考えると胸が張り裂けそうだ、と主人はよく言ってました。
蒸発した母が悪いのは当たり前だけど、いつか弟も母を許せる時が来るのか、と。
そこで私は「ずっと恨んでる方が弟にとっては楽やな」と思いました。
母が書いた手紙は弟の元には届いてません。父が保管してます。
読んだところで許せるわけがない、と父は言います。
でも、今は許せないとしても、もっと時が経って弟の子供達も大きくなって、
弟が母の年代になった時、その手紙を読んだり死に際の時の話を聞いたりした時、
主人の言うように「胸が張り裂ける」かもしれない。
それを味わいたくなかったら何も聞かず見ず、ずっと恨んでる方が楽だと思う。


若い頃って子育てに必死だから心にもゆとりがありません。
だって生活におわれてるんだもの。貧乏だと特にね(:_;)
でも、子供が大きくなるとゆとりができると言うか、心に暇ができるんですよ。
その頃になって、やっと親の気持ちがわかる。
私もたまに「一人暮らししたい病」がでます。
母が家を出たのが46歳。ちょうど今の私の年代です。
更年期が始まる頃で、何もかも面倒になってくる年代。
離婚も自立も煩わしいと思える人は、ここで立ち止まる。
でも、もう結婚生活の維持は無理、一人でも生きていけると思える人は踏み切る。
なので私は母の気持ちもわかります。どうしても無理だったんだろうな、と。
でも子供にしたら晴天の霹靂ですよね。なんの前触れもなく母親がいなくなった。
裏切られた、捨てられたと思っても当然です。弟の気持ちもよくわかる。
だから今はずっと恨んでいればいいと思います。
それで自分を保てるのならその方が楽だし。
変に受け入れて自分を保てなくなったらそれもまた大変ですから。
でも、50になっても60になっても、いつまでも親を恨んでる人間には
なってほしくないな…
どこかで折り合いをつけて、胸が張り裂けても乗り越えられる人間になって
くれるのが一番いいんですけどね…


ま、これは母親目線での話なので、実際弟目線になったらこんな綺麗事は
言ってられないのかもしれませんよね…